芥屋ゴルフ俱楽部

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芥屋ゴルフ俱楽部は赤星四郎晩年の傑作である。だがその前に、土地をまとめ18ホールの設計図を書いた男、照山岩男がいた。

「九州ゴルフの生い立ち」の著書を持つ照山は、昭和4年26歳のとき福岡ゴルフ俱楽部・大保コースの初代クラブ
チャンピオンとなる。後に神戸の福井覚治に師事、九州初のプロとなる。戦前の熊本ゴルフ俱楽部(9ホール、戦時下で
消滅)を設計、戦後は、九州CC春日原、福岡CC和白コースなどの設立、設計監修で働く。九州では、ゴルフ場造りには
無くてはならない先達だった。

照山は書いている。「昭和36年1月頃からゴルフ場候補地を物色し(中略)やっと探し当てたのが現在の芥屋ゴルフ場であった」
(会報「芥屋だより」10周年号)。新設の事業主は、唐津と田川に炭鉱を持つ高倉鉱業グループ。社主高倉矢一は
「利益のためでなく高倉グループを支えた社員のため」と語っている。折から炭鉱不況、社員の雇用創出が狙いだった。

認可までの1年間、照山は用地を歩きまわり、松の木に登って地形を調べ、18ホールのルートプランを設計、高倉社長も
賛成した。

ところが関係者の間に「折角のよい土地だ、有名設計家に頼もう」という案が出て、照山自身が、赤星四郎に依頼する
ことになる。照山は「同氏の設計も私の設計も基本的にはコースの配置が同一だった」と自ら納得している。

昭和39年5月着工、9月下旬芝張り開始、昭和39年11月15日、九州志摩カントリークラブ・芥屋ゴルフ場が開場。

あるチャーターメンバーは「赤星四郎先生のお考えは、アウトは芥屋の大門から玄海の荒うみへの船出、インは小春日の
庭園の散歩をイメージして造られている」と書く。

芥屋の大門は、玄海国定公園の中心スポット、神秘的な洞穴が並ぶ名所だ。平成5年には、クラブ名称も
芥屋ゴルフ俱楽部と改称された。

美しい日本のゴルフコースから・・・

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