京都ゴルフ倶楽部 船山コース

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「GHQに出頭されたい」昭和20年12月末、岩手県待浜に引き籠っていたいた安達貞市の許に通知が届く。それ来たと思った。
安達組は戦時中17カ所の飛行場で芝を張った。戦争犯罪人の呼び出しか、覚悟はできていた。

しかし意外、用件は米軍接収中の小金井C再建の工事だった。この仕事を僅か10万円で引き受けて、米軍を驚かせた。
安達のバクチだった。以後安達は、米軍接収コースの程ヶ谷CC、霞ヶ関CC、東京GCの再建、座間CCの新設など
米軍接収ゴルフ場を多数受注する。

京都駐留第1軍団から注文が舞い込んだのは、昭和21年11月。京都上賀茂に計画中の米軍ゴルフ場が、
予算2億7000万円は高すぎるとして中断していた。「アダチならいくらで造るか」計画に執念を燃やす
シェーフィルド軍政官が尋ねる。

「3000万円でやろう」と安達は答えて着工。結局上賀茂ゴルフ場は、米軍はブルドーザーで協力、工事費は安達が
負担する形で、昭和23年7月23日9ホール仮開場。

それから7年。上賀茂コースは会員1400名に増え、折から京都は動乱景気に続く西陣、室町の好況で
ゴルフ熱が高まり、京都GCも36ホールへの増設気運が高まる。具体化するのは昭和31年から。
滋賀県瀬田、宇治黄檗山裏側地、乙訓郡山崎松尾神社裏、京都市北区西加茂船山町周辺(現在の船山コース
所在地)の5ヵ所を調査した。2番目の宇治黄檗山裏側地には関心が大きく、設計の上田治を同伴、
検討しているが、開拓農地が多く、転用が無理と判断した。5番目の西加茂船形周辺は、10年前に
上賀茂コースの用地が不調に終ったときの予備の候補地だ。

安達は、この地を数回実地検分している。結局、市街地である、上賀茂コースに近いという利点を
考えた。この決定は、上賀茂コース1400人を大いに喜ばせ、増設協力金10万円の要請に応じなかった
のは、僅か10人だった。38万円で募集した第1次250名、第2次84名も、締め切りを待たずに満員となる。

昭和34年6月9日9ホール仮開場。昭和37年1月2日18ホール・5265ヤード・パ−67を本オープン。
2年6ヵ月の間が開いたのは、ハウス予定地の尺八池際の毘沙門山一帯の用地が買えず設計変更が
続いたからだ。しかし現在のクラブハウスひは、比叡山、如意山(大文字山)から南へ稲荷山まで
一望する東山連峰の絶景が残された。

「美しい日本のゴルフコース」より


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