琵琶湖カントリー倶楽部

栗東 TG 3516y(CG 3342y) 三上 TG 3434y(CG 3288y) 琵琶湖 TG 3340y(CG 3190y)
TG(トーナメントグリーン) / CG(チャンピオングリーン)


栗東

三上

琵琶湖


昭和33年、ヤンマーディーゼルは、滋賀県栗東町の要請で、同町金勝地区にゴルフ場を造る計画がほぼ決定、土地代の手付金800万円を支払う段階になっていた。
ところが誰が王様の首に鈴をつけるかで、34カ月も足踏みしていた。王様とは、ヤンマーディーゼルの創業者・山岡孫吉である。マンモス耳かきを
振り回して何がおもしろいか、と理解ゼロ。一計を案じた。金勝地区に住む服部知事を訪問と称して、車で予定地を走りながら「あの山は
起伏といい相といい抜群、100円なら話がまとまります}と繰返し、「まあ宜しかろう」と言質をとるや否や、先回りして会計課に駆け込み、
800万円小切手を貰い、栗東町に支払った。この企みはすぐバレる。王様・孫吉社長は「1本取られた。お前らに勝てんワイ」と
破顔大笑。(20年史、名誉書記・桂木鉄夫「20年の思い出」より)

このエピソードが物語るように、琵琶湖CCはヤンマーディーゼルのゴルフコースである。

昭和33年、琵琶湖湖畔ではまだゴルフブームは燃え出していない。工事見積りにパー6の図面を書いてくる業者もいたと、20年史は
微苦笑している。33年8月、コース設計は、当時関東で人気者のひとり、富澤誠造に依頼。12月滋賀観光(株)設立。事業は快調に進んだ。
34年1月には起工式、11月には、老松に囲まれ雄大でフラットな栗東コース9ホールが完成、仮開場。

1年後の昭和35年10月には、比叡の山並を眺望、湖水を眼下にする琵琶湖コースが完成。18ホールとして本開場する。因に、
設計の富澤誠造は信心深く、仏教の大本山延暦寺近くで仕事ができることに感謝、設計料の大半を仏縁に寄付したという秘話がある。

昭和43年9月、バンカーが多く戦略性の高い三上コースが完成、27ホールとなった。平成5年に日本オープンが開かれ平成11年には
日本女子オープンも開催された。

美しい日本のゴルフコースより・・・

追記 令和3年にも日本オープンが開催されました。

上の左画像は普段の546yから569yに、右画像は353yから394yに伸ばすための特設ティーからの画像です。