ゴルフの故郷〜聖地 スコットランド〜リンクス

夏坂健さんと共に・・・


ホイレークのスターティング・ホール by KEN san


左の画像は今年の全英オープン(2023年)では3番ホールとして
使用されていましたが、
スターティング・ホールの難易度の高さでは
 世界屈指といわれる、ホイレークの1番ホールです。

ゴルファーの心理からすると、たとえフェアウェーの横幅が砂漠ほど
広かろうとも、朝イチのティーショットほど不安なものはない。

ところがホイレークの1番ときたら、「コップ」と呼ばれる練習場の
先端が厚かましくもフェァウェーの真ん中近くまで浸食、壁状に
凹んでいるのだ。

その境界に延々とOBを示す白杭が立ち並んでいるさまは、
ティーグラウンドに立つ朝イチのゴルファーを震撼させるに
十分な光景といえる。

練習場との境界線は、フェァウェーを侵食したまま、左サイドをグリーンの
近くまでひた走るため、ティーショットばかりか、2打目、3打目でも
簡単にOB杭を越えてしまう。

 

トニー・ジャクリンほどの名手までが、「この世で一番いやらしいスターティング・ホールだ。1日分の
神経のほとんどを、ここで費やすことになる」と言うほど嫌なホールなようです。

全英オープンでのワースト記録、1ホールの中で、2人合わせて8発のOBや、クラブ選手権で144人中、
102人が1番でOBの苦汁を舐めた年があったり、キャディーバッグに用意した12個のボール
すべてを「コップ」に献上、ティーグラウンドから一歩も足を踏み出すことなく引き揚げた
ゴルファーもいたそうです。

そんなホールもプロの飛距離が伸び、今はアイアンでティーショット、セカンド以降もそれ程長い番手は
要らないでしょうから、楽になったものです。


全英オープン by KEN san

1859年に亡くなった「ゴルフプロの第一号」と呼ぶ伝説の男、アラン・ロバートソン
(不敗のゴルファーだそうです・・・)の後継者を選ぶためのゲームが翌1860年に
プレストウィックで行われましたが、これが第一回全英オープンとなったそうです。

プレストウィックは1852年に開場され、第一回から12回連続で全英オープンが開催
されましたが、1873年からはセント・アンドリュース ゴルフリンクス オールドコース、
マッセルバラ、プレストウィックの3コースでのローテーション開催となり、通算24回に
渡って開催されましたが、1925年が最後となり、それ以降は開催されていません。


最古の全英オープンの地

第1回から12回連続で全英オープンの開催されたコースが、オールド・トム・モリス設計の
プレストウィックゴルフコースです。 

と書き出す予定でしたが、聖地?セント・アンドリュース ゴルフリンクス オールドコースで開催
されている全英オープンを観て少しガックリきています。

一昔前ならフェアウェイに点在するバンカーに入らないようにティーショットを刻んで攻略していた
パー4をバンカーなんか関係なしにドライバーで打ち、グリーンエッジからのアプローチショットで
寄せてイーグルやバーディーや、どんどんとセカンドショットやパー3で持つ番手が短くなり、
まるで「風の大地」の沖田プロの攻めやなぁ〜と思う今日この頃です・・・(寂;)


プレストウィックとは?

スコットランド鉄道駅『Prestwick Town=プレストウィック タウン』のすぐ横にクラブハウスがあり、
鉄道路線と並行に1番ホールがあります。この1番ホールの名前はそのまま『Railway(レールウェイ=鉄道)』です。

コースの周りを沢山の住宅地が囲みます。他にこのコースで印象的なホールは、3番と17番です。
3番パー5は、カーディナル(482y )と呼ばれています。

ホールの右側にホールと並行して大きな川が流れる姿は、現代のコースにおいて川や池をハザードとして配置するホール・
デザインの基礎となりました。さらにこのホールのフェアーウェイの左側から右側へ大きなバンカーが横たわる本物の
フェアウェイ・バンカー(カーディナル バンカー)があります。

17番パー4(アルプス/Alps 391y)は、グリーンの手前90ヤード付近に高さ8ヤード程の山(=アルプス)があります。
この山がゴルファーのグリーンへのショットの距離感を惑わせ、結果を見えなくします。グリーンに辿りついて
ようやくショットの結果がわかる仕掛けになっています。そうですこれが現在では世界中のゴルフ・コースにある
ブラインド・ホールの起源です。グリーン手前のバンカーがサハラ バンカーです。

1925年を最後にプレストウィックは世界有数のビックイベント 全英オープンの会場としての役目を終えて、
現代に至ります。丁度この地を挟むように北と南に離れた場所にある ロイヤル・トゥルーンと
ターンベリーにその役を譲りました。

この2つコースの全英オープンの通算の開催回数は13回です。プレストウィックの約半分です。
全英オープンを開催する為にコース自体に求められる条件を今はプレストウィックは持ち合わせていません。
本文の最初に触れたように鉄道駅のすぐ近くで多くの住宅地が囲んでいること、すなわち土地に余裕がなく、
1週間でのべ20万人〜25万人が観戦に訪れるビックイベントとなった全英オープンの
人、車、大会施設の設置等が裁けないのです。

しかし約150年前に世界初のゴルフのオープン競技の開催場所としてふさわしいと選ばれたコースは古びていません。
このコースをラウンドするとゴルフ・コースというものの奥深さや味わいを感じることが出来ます。

一度訪れて見たいコースですね〜


シングルモルト(ハイランドパーク)

スコットランドと言えば、ゴルフだけでなく、ウィスキー(シングルモルト!)の聖地です。

「スポーラン」という腰のベルトに下げるポシェットには携帯用の酒入れ「スキットル」が入って
います。ゴーイングアウト、カミングインで、スタートしてからクラブハウスに戻って来る迄
休みの無いラウンドなので、底冷えのするスコットランドではウィスキーは必需品だったのでしょう。

グランモランジー(グレンモーレンジィ)はウェザレッド家のご用達。ドナルド・ロスがアメリカに渡る
26歳まで愛した酒が「BALBLAIR」(バルブレア)。大酒飲みだったトム・モリス・シニアの場合、
ギネス(黒ビール)は水と同じで、現在はシングルトンの名称となっていますが、インバネスから
北に20キロほど行ったミュア・オブ・オードの町で造られる「GLENORD」(グレンオード)に目がなかった。

ミュアとは「一面ヒースの野原」を意味するゲール語で、ミュアフィールドもここに由来します。

「ゴルフ三巨人」の一人、ジェームズ・ブレードのお気に入りは「ブローラゴルフクラブ」を設計した
時に足繁く現地に通ったのが縁、「CLYNELISH」(クライヌリシュ)です。

「ブローラ ゴルフ クラブ」は数多い彼の設計の中でも代表作といわれ、トム・ワトソンも、
リンクスの中ではベスト10に入ると折り紙をつけたほどである。

「ゴルフ三巨人」の一人、ジョン・ヘンリー・テイラーは、彼が手を加えたロイヤル・ドーノックの記録では
彼の泊まった部屋に再三運ばれたという「MILLBURN」(ミルバーン)がお気に入り。


ウィスキー 2

「ゴルフ三巨人」の最後は、全英オープンに6勝したハリー・バードンです。
(バードングリップで有名です)

あまり酒をたしなまかった彼ですが、それでも1914年にプレストウィックで行われた試合で
全英6度目の優勝を果たしたとき、よほど嬉しかったのだろう、クラブハウス内で乾杯する
彼の写真の片隅に「ROYAL BRACKLA」(ロイヤルブラックラ)の瓶が見える。で、
このウィスキーはロイヤル・ワラント(英国ご用達)が授けられたほどの名酒で、
まこと偉大なるハリー・バードンが飲むにふさわしい酒といえる。

私も好きな音楽を聞きながら、ROYAL BLACKLAと共に、古のスコットランドの
ゴルフに思いを馳せ、夜長を過ごします。

最後に・・・

ウィスキーの飲み方ですが、高価なウィスキーのソーダ割り(ハイボール)は止めて欲しいです。
本来ならストレートなんでしょうが、日本人は欧米人に比べて食道が短いので
アルコール度数の高いウィスキーをストレートで喉に流し込むのは体に良くないらしいです。

私の家での飲み方は、製氷室の小さな氷を沢山入れた、水のウィスキー割りです。


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