宝塚高原ゴルフクラブ

6535y(6220y)

PAR72



「祝祭的街空間を造る」(阪急創業者・小林一三の言葉)といって生まれた阪急宝塚線沿線には、戦前から芦屋、西宮など阪神間モダニズムといわれた
先進的ライフスタイルの富裕層が多く住んでいた。ゴルフ場も宝塚ゴルフ倶楽部(大正15年開場)、西宮カントリー俱楽部(昭和30年開場)があるが、
どちらも高級プライベートクラブだ。まだ中間層、大衆層のゴルフ需要は残っているし、膨らんでいるはずだ、という見込みで、昭和30年代後半から40年代
前半にかけて、宝塚駅から北へ車で10分の北摂地区に、新設ラッシュが起こった。しかしブームには挫折もあればトラブルも生まれる。

実は宝塚高原の前、昭和35年頃、新宝塚CC・国際観光開発株式会社が、同じ土地に開発しようとしたらしいが「創立間もなく企業蹉跌というゴルフ界の
一台不祥事」(会報「20周年記念号」会員・吉岡宏の文章)を起こして挫折していたようだ(減・新宝塚CCとは別)。

再建に乗り出したのが、昭和37年6月宝塚高原ゴルフ(株)を設立した初代社長・安田直行だった。ゴルフ場建設大手のひとつ(株)芝萬が、絶大な
援助をしたと20周年記念誌にある。

その芝萬も、40年代初期のゴルフ場新設不況で倒産。後をニチメン(株)と施工特約して、J・E・クレーン設計、(株)大林組施工で、38年1月着工。

場所は標高350メートル、宝塚市切畑字長尾山の丘陵上の盆地25万坪。クレーンは「相当量の土量を移動すれば理想に近いコースができる」と
語っている。だが現実は思想から遠い。

昭和39年8月9日開場。18ホール・6600ヤード・パー72。出来上がったコースは「相当量の土を動かした」ため、全域にブルで削った地肌が露出。
六甲山系特有の岩石も多く、会員たちは、袋を持って小石を拾いながらプレーした時期も。クラブ側も39年〜49年までに150種
24万6000本の植樹を施した。

平成7年の阪神大震災では、市民に風呂場を開放、感謝された。

「美しい日本のゴルフコース」より・・・

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