福岡カンツリー俱楽部 和白コース

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戦前の福岡ゴルフ倶楽部(後に福岡カンツリー倶楽部と改称)大保コースは、大正15年南北朝の古戦場太刀洗附近に開場した
九州初の会員制ゴルフクラブである。昭和18年、戦争激化で大保は閉鎖となる。

いま残る大保の嫡流は、戦後生まれの古賀GCと福岡カンツリー倶楽部和白コースである。兄は古賀、和白は弟である。

昭和22年、大保コースの残党有志は、福岡市郊外二日市の米軍専用キャバレー「紫苑」前の工場跡に、6ホールの紫カンツリー
俱楽部を開いた。ウッドクラブも打てるショートコースだった。間もなく糟屋郡古賀海岸の西鉄所有地7万坪に移転、
サンドグリーンの9ホールを造る。現存の古賀GCインコースである。時に23年5月1日。

大保コースの経営母体、福岡ゴルフ土地は古賀ゴルフ土地と改称、古賀GCに引き継がれた。
この時点で“大保の嫡流は古賀”と「和白30年史」は書いている。

同じ頃(昭和24年前後)、占領米軍の要請もあり福博財界では、新コースを計画、6ヵ所の用地探しをしていた。その中に
和白村があった。

昭和36年4月、大成建設、保田与天(虎太郎)が長者原と和白村のコースレイアウトを作成、赤星四郎も現地調査して
和白に決定した。同年9月1日起工式。経営母体を(株)福岡カンツリー俱楽部として設立したのは、人の流れも
精神も源流は大保という意識だった。新コースの工事は順調に進んだ。

米軍はガソリン、運転手つきのブルドーザーで応援、造成作業には福岡刑務所も軽犯囚も動員された。(因に、作業中
2人の囚人が脱走したという)。27年11月3日18ホール完成、本開場する。

和白コースは、博多湾の和白海岸を見下ろす高台20万坪に展開する18ホールだ。やや狭い印象もあり、「和白30年史」
には、赤星四郎設計ならもっと素晴らしかったろうと、創成期の財政難を嘆くくだりもある。


「美しい日本のゴルフコース」より・・・